近松プロジェクトについて


近松プロジェクトの目的と意義

湯浅雅子

日本演劇プロジェクト
~日本の近世(江戸時代)の演劇から~
~近松浄瑠璃戯曲世話物三作品の英語台本の作成とその上演・出版~

近松門左衛門(1653~1727)の世話物
正確なところはわからないが、近松はその50年における作家生活で百六十余りの作品を書いたといわれている。近松の作品は大きく時代物と世話物に分けられる。時代物は古浄瑠璃時代の霊験記や武勇伝の流れを引くものであり、主人公は平安朝や鎌倉時代の公卿や武士であるが、正確な時代考証のもとに書かれたわけではなく、衣装や風俗は江戸時代のものも混じっていた。世話物は現在身のまわりで発生する町人の世界の事件を扱うものである。近松は二十四篇の世話物を書いており、それらは<心中もの>、<処罰もの>、<姦通もの>、<仮構もの>の四つに分類できる。近松プロジェクトではこうした作品群の中から、<心中もの>、<処罰もの>、<姦通もの>から一作品ずつ選んでいる。

☆プロジェクトの三つの作品
(1) 処罰もの 「女殺油地獄」 1721年 竹本座初演
実説はわからないが、多分このような事件が実際にあったろうと推定される。強盗殺人がテーマ。初演ではさほど評判にならなかったが明治になり主人公与平衛の現代的性格が注目されて歌舞伎化される。文楽では昭和37年にはじめて上演。
(2) 姦通もの 「堀川波鼓」1711年2月 竹本座初演
三つの姦通ものの最初の作品。『月堂見聞集』に実説が伝えられる。因幡国鳥取の藩士大蔵彦八郎が妻の妹とともに、京都堀川で女敵、宮井伝衛門を討ち、1706年6月に事件が落着した、といわれる。姦通の動機や妻お種の性格などには近松独特の芸術観が反映されている。初演以後たえて上演されなかったのを文楽では昭和58年2月に東京国立劇場で復活上演された。
(3) 心中もの/道行もの 「冥途の飛脚」1720年 竹本座初演 を予定。
大阪に養子に貰われた大和の百姓の息子が、家業から金銀を盗んで遊女と駆け落ちをして捉えられた、という実話に基づいて書かれている。近松の作品中上演回数が非常に多い作品である。
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☆プロジェクトの意義と理由
近松の作品は浄瑠璃台本の語りのために書かれたものであることから、美しく韻をふみリズム感に満ちたものであり、それ自体が完成された文学である。世話物の人物たちは近松のそうした文体のリズムと韻のちりばめられた地の文や台詞に支えられて舞台に登場する。世話物は江戸時代の現代劇であり、語られる内容はなまなましく人間生活の真実に溢れており、普遍性が強く今日性に満ちている。
出来事を幾重にも包み込む複雑な人間関係、義理と人情の倫理観にがんじがらめに縛りつけられ苦しむ人々の姿、厳しい掟で人々の生活を取り締まる封建社会、人々の心の支えである儒教の教えと仏教信仰など当時の人々の生々しい人間の営みが手にとるように見える。またこうした事件は今もなお社会のどこかで日々起っている事柄で、人間の営みの普遍のテーマで、戯曲は二百年、三百年前の昔の話であると一言では片づけられない今日性を持っている。人間の姿を赤裸々に語る近松作品は時を越え国境を越えて我々の心に訴える。
能、歌舞伎、文楽と日本の伝統演劇には完成度の高い独特の演劇形態、様式美がある。それは年月をかけた厳しい修練で個々の演劇人が先達から学び身につけた、そうした技術の結集したものである。伝統演劇に携わる人々の弛まぬ努力が日本の伝統芸能を魅力ある価値あるものにしているのは言うまでもない。しかし、こうした特質は同時に日本の伝統演劇が日本以外の国では鑑賞される立場のみになりがちであるというマイナス面も生んでいる。それでは、これらから様式を取り除いて、戯曲のみを取り出してはどうであろうか。
近松戯曲のあふれでるまでの力強い言葉は台詞劇にしても生き延びる。これは、近松の書いた戯曲としての浄瑠璃の意味をより深く探る良い機会であるといえよう。近松の世話物は上の卷、中の巻、下の巻の三幕の整頓された構成で書かれており、登場人物、作品テーマなど劇要素も不確かなものがなにもない。芝居が成り立たない不安要素が見られない。庶民の娯楽のための演劇を、日々の舞台の出来を意識して書かいてきた、劇作家近松の持つ力である。
私はこれまでに十余りの日本の現代劇を英語翻訳して舞台化してきたが、戯曲を英語にしたときに、その戯曲が同じ文化の中での曖昧な同意とでもいうような漠然とした理解ではなく、霧の晴れたように、明瞭な輪郭を見せることを経験してきた。近松戯曲の言葉と劇の力は他の言語に置き換えられてまた新しい命を育むのは疑う余地がない。私はこのプロジェクトでそれを証明したい。台詞劇としての戯曲を日本語と世界の言葉である英語の両方で作成することで、近松の作品は世界演劇のレパートリーになりうると考える。近松の戯曲は演劇界の宝である。
 また、上演後、完全台本は日本語・英語の両言語での出版を計画している。
以下、参考資料として、湯浅の上演及び翻訳のリストである。
(上演した劇場はリーズ大学のバンハム劇場かエマヌュエル・スタジオ)
1 「花のさかりに死んだあのひと」清水邦夫作 1986年5月13~17日
2 「カンガルー」別役実作 1987年12月1~4日
3 「天才バカボンのパパなのだ」別役実作 1988年11月8~12日
4 「足のある死体」別役実作 1989年6月13~16日
5 「諸国を遍歴する二人の騎士の物語」別役実作 1990年11月27日~12月1日
6 「蒲団と達磨」岩松了作 1991年12月3~7日
7 「紙風船」「葉桜」「恋愛恐怖病」岸田國士作 1992年11月24~28日
8 「隣の男」岩松了作 1994年6月27~30日
9 「葉桜」岸田國士作 1997年3月17~19日
10 (翻訳のみ)「鯨の墓標」坂手洋二作 1998年
11 (翻訳のみ)「魚の祭」柳美里作 2001年
12 「女地獄油地獄」翻案・翻訳

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